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マイムマイム日本語詞への挑戦と破皮朗への未練


ォークダンスの音楽を聴くのに本当に嵌まっていて、車でも休み時間でもずっと聴いている。前に「hophophop」に、フォークダンスは絶対に集団で触れ合う音楽なので、ひとりで聴いていても、本当はかつて自分にはたくさんの友達がいて、その友達たちとよく踊ったような、そんな錯覚を抱かせてくれる、と書いた。中でも特に心が弾むのは、定番だけどやっぱり「マイムマイム」である。イスラエルの、水の喜びを謳った歌であり、踊りがほどよく華やかで、しかし簡単で、友達とフォークダンスを踊るときは、いろいろ試したりもするけど、結局は「マイムマイム」だよな、となる。
 その「マイムマイム」に、志村建世という人の作った日本語訳詞がある。


  さばくの真ん中 ふしぎなはなし
  みんなが集まる 命の水だ

 ※ マイムマイムマイムマイム

  マイム ベッサッソン
  マイムマイムマイムマイム
  マイム ベッサッソン
  ヘイヘイヘイヘイ
  マイムマイムマイムマイム
  マイムマイム ベッサッソン
  マイムマイムマイムマイム
  マイムマイム ベッサッソン


  ラクダも集まり キャラバン休む
  緑のオアシス 夢かとばかり

 ※ 繰り返し


  お祈り忘れりゃ これまたふしぎ
  たちまち消え去る 魔法の水だ

 ※ 繰り返し


 ご本人のブログを確認したら、当時「砂漠に水が出たという歌らしい」という情報だけで作った詞だという。そういうものなのか。まあそれから何十年経っても、やっぱり「砂漠に水が出たという歌らしい」以上の情報はもたらされないので、やったもん勝ちなのだろう。とは言え詞の仕上がりは品があっていい。特に2番がいいと思う。しかしこの詞にはひとつ重大な問題があり、それは3番までしかないということだ。フォークダンスの「マイムマイム」を踊るとなって、じゃあこの歌詞を唄いながら踊ろうぜとなったときに、曲はほぼ確実に3番以上も続くのだ。僕が聴いているCDの「マイムマイム」は、6回繰り返している。歌詞が3番までで終わってしまったら、あとは無言で踊ることとなり、はじめから無言であれば別にいいのだけど、前半は意気揚々と唄っているだけに、ちょっと後半が切ない感じになってしまうと思う。だから僕は考えるにあたり、6番まで作ることにした。いま聴いているCDのこれがスタンダードなのかどうか判らないし、仮に生演奏で踊ることになった場合、場の空気によって何番まででも踊りは続くわけだが、とりあえず6番までで考えた。
 詞のイメージは決まっていた。水が出た喜びを、人々が輪になって喜んでいるのだ。そんなのもう、無数の女の子が1本のちんこに群がっている図しか浮かばないではないか。そんなわけで前記事のような歌詞になった。原曲の意味を押さえつつ、独自の色が出せたのではないかと思う。気のせいかもしれない。
 やっていて感じたのは、「マイムマイム……」の部分の重要性だ。この毎回繰り返される早口の呪文によって、歌詞部分に少々難があろうと、かなりなんでも洗い流してくれる。ちょっとくらいスベっても、歌は「マーイム! マーイム!」と、しかも踊りながら進行するわけで、その勢いでずいぶんなものでも大丈夫にしてくれる効果があると思った。
 そうしてすっかり頓挫した新しい定型詩形式、破皮朗のことを思った。定型とした6699の語呂がそもそも悪いという致命的な欠点によって失敗に終わった破皮朗なのだけど、この「マイムマイム」の、「マーイム! マーイム!」がすべてなんとかしてくれる感は、とても参考にできる気がする。参考にするどころか、いっそのこと、「8787+マーイム! マーイム!」をこそ、新しい破皮朗ということにしてしまってもいいかもしれない。そんなことを思った。